法事をすることで、愛する人の死は心に刻み込まれていく。

息子が交通事故で亡くなってから、早いものでもうすぐ4年になります。

妹が兄の年齢をを追い越してしまいました、なんだか不思議な感覚です。

命日にはお坊さんに来てもらって家族でお参りをする予定です。

これからも息子の命日には、家族全員で過ごせればいいなと願わずにはいられません。

この日だけは、ほかの予定は入れずに必ず家にいるようにしています。

もちろん、仕事なんか行きません、会社にもこの日は何があっても絶対に来ないと言ってあります。

もう何もしてあげることは出来ないのですが、この日は長男の事だけを考えて過ごします、

これが今の私ができる目一杯の愛情表現なのかなと思ったりもします。

家族全員で長男のことを思う時間はかけがえのない時間です、

これからも変わらずにこういう時間をとれるのかわかりませんが、何よりも大切にしていきたいと思っています。

息子のことを思い出さない日はありません、

でも今では長男がいないということが当たり前の生活になってしまいました。

以前の様に後悔や寂しさに苦しむようなことはなくなったのですが、悲しみが消えることはありません。

ちょっと前までは、ずっとこのまま悲しみに暮れていたいと思っていました、苦しみや悲しみを手放すのも勇気が必要です。

現実から目を背けたり、湧きだす感情に蓋をしていては何も変わりません、ずっとそのままです。

苦しみを手放すには、逆のようですが何回も息子が死んだという現実に向き合い続けなければいけません。

向き合い続けている過程で、「ここのまま苦しんでいると息子も悲しむかな」と思う時が来ます。

湧きだす感情や心の声を吐き出していくことで、気持ちが整理されていきます。

法事は愛する人の死に向き合うことのできる儀式です、周りの人も思いは一緒だと思います、

であればそこで自分の思いを吐き出してください、誰も文句は言わないでしょう、共感してくれるはずです。

でも、気持ちの整理がつくタイミングは立場によって様々です、まだ受け入れられない言葉を投げてくる人もいるでしょう、

悪気はないのです、立場の違いです、反応してはいけません、全力で無視しましょう。

法事は故人の為ではなく、本当は残された人の為にあるんだなと感じます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です