はじめに、

2020年 2月21日 0時30分 息子は交通事故に遭いこの世を去りました。

24歳でした。

このブログでは長男を事故で突然亡くし、私たち家族が悲しみのどん底で、

どの様な感情を抱き、想いがどの様に変化していったのか、

そして、苦しみの中にたくさんの気付きや学びを得たこと、それらを書いたものです。

大切な人との別れを"経験した方でないとわからない感覚"があると思います。

経験をしていない方の慰めや励ましは私たちの心には入ってきません。

さみしいことですが、"私たちは他人が死んでもあまり悲しくはない"ものです。

自分の事として感情がわかないので本気で悲しむことが出来ません。

他人に同じ感情を求めるのは無理というものです。

でもそれは、それぞれの人生を幸せに生きていく為には、そうあるべきなのかもしれません。

そんな心のギャップに、愕然とした方もいらっしゃるのではないでしょうか。

経験をした方は、一生消えないであろうこの悲しみと共に生きていかなければなりません。

微力ではありますが、あなたと想いを共有し、あなたの気持ちに寄り添うことが出来れば、

心からうれしく思います。

あなたの言葉で私たちも救われる、そんな気がして書いています。

自分で自分を傷つけないで!
【激しい感情の半分は妄想かも】

あなたは大切な人を失って、様々な感情の渦に飲み込まれていませんか?

別れが悲しすぎるほど、次から次へと激しい感情があふれ出して来て止まらなくなります。

私も息子が亡くなってしばらくの間は、溢れる感情をコントロールする事が出来ませんでした。

絶望、後悔、悲しみ、怒り、憎しみ、悔しさ、の感情が絶え間なく襲ってきます、

「息子がいなくなった人生なんて生きていけるのか」、という恐怖すら感じていました。

頭の中が混乱して、本当にコントロール出来なくなります。

今の現実が理解できず、亡くなって1ヶ月くらいは夢の中にいるような感覚でした。

本気で時間を戻そうと思ったり、神様に「自分の命と交換して下さい」と願ったり、

でも、そんなことは出来るはずもなく、また現実を突き付けられの繰り返しでした。

その度に自分の人生のすべてを後悔していました。

後悔、自分への怒り、やり場のない憎しみ、とにかく悔しい、

例えて言うなら、心をナイフでめった刺しにされている感覚でしょうか、

とにかく、自分を許せなくて心が痛いんです

人と会い会話をするときは爆発しそうな感情を抑えるのに精一杯で、人の優しさや冷たさに過敏に反応していました。

「あぁ、これから自分はどうなっていくんだろう」って感じでした。

今思うと、心の中で考えていることの苦しみや悲しみの半分が妄想だったのかなぁと思います。

関係ないのに、自分の過去の全ての過ちを事故に結びつけて後悔していました。

難しいことですが、心のどこかに自分を客観視する冷静さと、自分に対する優しさを持っておかないと、

自分で自分を傷つけてしまいます。

意外と自分で自分を苦しめているとは気がつかないものです。

苦しくなった時、「今の考えていることは、妄想じゃないかな」と意識してみるのがいいかもしれません。

あの人は絶対に、あなたが苦しみ傷つくことを望んではいません。

幸せに生きていくことを望んでいるはずです

「今のあなたはどうですか?」

”あなたの気持ちを聞かせてください”、溢れた感情を文章にすると心が落ち着きます。

私もメールをいただけると励みになります。

どの様な内容でも結構です、必ず読ませていただき返信いたします。

自分が一番つらいと思ってた

長男が事故で亡くなってから1年くらいは、大切な人との別れ方の中では

自分たちが一番つらい別れ方をしたんだと、心のどこかで思っていました。

でも今は、その思いはちょっと違っていたなぁと思っています。

別れ方は、事件、事故、病気、自殺、行方不明などあると思いますが、

いろんな方のお話を聞いたり、体験談を書かれた本などを読んでいくうちに、

別れに対する苦しみ方は違いますが、それぞれに壮絶な苦しみがあるなと感じました。

以下に、それぞれどんな苦しみがあるのか考えてみました。

私の場合はこんな感じでした👇

【事件・事故の場合】

あまりにも突然すぎて、理性を失い、目の前の現実に理解が追いつきません。

「えっなんで死ぬの、どうして、どういうこと」という言葉しか出てきません。

心への衝撃が強すぎて、しばらくは思考停止の状態になります。

理性が追い付いてきたときの絶望感は、言葉では表現できないですね。

加害者がいる場合は、さらに気持ちが複雑です。

【病気の場合】

余命を宣告された場合は、近いうちに必ず来るであろう別れを覚悟しなければいけない。

死へのカウントダウンが始まったような状況で、生活していくのはかなりのストレスじゃないでしょうか。

愛する人が病気と闘っている姿を見てるのに、何もしてあげられない悔しさ、

さらに、コロナの影響で手を握ってあげることも難しいのではないでしょうか。

愛する人が明日死ぬかもしれないという恐怖が常に心のどこかにあるというのは、

あまりにもつらすぎる人生の時間の過ぎ方ですね。

【自殺の場合】

なんであなたは自殺をしたんですか?

私たちを残して、なんで死んだのですか?

何があなたをそこまで追い込んだのですか?

悪いのは誰ですか?

聞きたいことは尽きないと思います。

悲しくて、悔しくて、許せなくて、かわいそうで、守ってあげられなかった後悔、

のこされた者は、あまりにも苦しいですね。

【行方不明の場合】

生きているのか、死んでいるのかもわからない、事件か事故かもわからない。

何もわからない中で無事を祈る事しか出来ない、何を信じて生きていけばいいかわからない様な気がします。

また、震災や災害などの自然の驚異によって多くの命が奪われていく、

時間がたてば一縷の望みも薄くなる、死を受け入れるしかない、

でも確証がない、確証が欲しい。

遺体の一部でもいいから返してくれと叫びたくなりますね。

【事故死】以外は私の想像をもとにした感想です、不快に感じる表現があった場合はなにとぞご容赦ください。

結局は、どのような別れ方をしたとしても、のこされた人はその苦しみからは逃れることはできません。

それが愛する人であればあるほど、苦しみは強烈に容赦なく襲ってきます。

今は自分が一番つらいとは思いません、のこされた人はみんな苦しみと闘っています。

そのことに気付けて本当によかったと思います。

別れは一度じゃない

今、振り返ってみると、息子の死を実感し、別れを受け入れる瞬間って、

何回もあって、1回じゃなかったなぁと感じています。

「あなたはどうでしたか?」

私は長男の死を、すぐにすべて受け入れることが出来なくて、

頭では、わかっているんだけど感情がついていけない、そんな感じでした。

少しずつ死を実感し、徐々に別れを覚悟する、段階的な別れの感覚を感じました。

3年間を振り返ってみて何回かあったので、聞いて下さい。

別れを感じたとき

  • 病院に向かい、死んだ息子を見たとき。
  • お葬式が進行し、火葬を迎えたとき。
  • 息子のお骨と帰宅したとき。
  • お墓を建てて、納骨するとき。
  • 仏壇に手を合わせたり、お墓参りに行ったとき。

病院に向かい、死んだ息子を見たとき

連絡を受け、家族で病院に向かっているとき、絶対に死なないでと祈りつつも、

「もう、生きて会えないかもしれない」という怖さが、心の奥のどこかにありました。

死んだ息子と対面し、医者の説明を聞いた時が最初の別れです。

思考が停止した感覚がありました。絶望しました。

頭の中は、「えっなんで、どうして、なんで死んだの、どういう事」だけでした。

別れを感じつつも、現実を到底受け入れられず、感情のまま絶望し、

死を実感することは出来ませんでした。

お葬式が進行し、火葬を迎えたとき

お葬式をすぐにすることは出来ませんでした。

出来たのは亡くなってから5日後だったと思います。

心のどこかに、お葬式をすれば息子を燃やさなければいけないという

恐怖みたいなものがありました。

「絶対に嫌だ、そんなことをしたら2度と会えなくなる、本当にお別れだ」と思いました。

お葬式が始まると、「あぁ、もう止められないなぁ、お別れだなぁ」

という、あきらめのような感覚だったのを覚えています。

火葬炉の前についたときは、気がおかしくなりそうでした。

もう2度と息子に触れることが出来なくなる、顔も見れなくなるんだと、

「あぁ、もう二度と会うことはできない、これで本当にさよならだなぁ」と、

遺体との別れではありますが、とても辛くて苦しい瞬間でした。

息子のお骨と帰宅したとき

お骨になった息子と家に帰り、自作の祭壇を作りお骨を置きました。

この時に感じたのは、お葬式と火葬のあっけなさ、イベントの後のような虚しさ、

周りから置き去りにされたような、緊張の糸がプツンと切れたような感覚でした。

「あぁ、もういないんだな」と、この時初めて寂しさを感じたような気がします。

この時期が、一番苦しかったような気がします。

お墓を建てて納骨するとき

息子がお骨になったとしても、愛おしいという感情と離れたくないという感情がありました。

ずっとこのままでもいい、そばに置いておきたい、お墓なんていらないって思っていました。

毎日、息子の好きそうなものを買ってきてお供えをし、ろうそくに火をともし、お線香をたいて

話しかけていました。

でも、一生そのままというわけにはいきません。

気軽に行けて、明るい雰囲気の場所を時間をかけて探しました。

墓石を厳選し、デザインも家族みんなで話し合いを重ね、

1年半後にやっと納骨することが出来ました。

この時に思ったのは、とうとう息子が「あっちの世界に行ってしまったな」という感覚でした。

仏壇に手を合わせたり、お墓参りに行ったとき

やっぱり、お骨でも家からいなくなると寂しいものですね。

心にぽっかりと空いていた穴が、さらに大きくなったように感じます。

今までは、目の前の息子に話しかけていたのに、

今は、遠くの世界にいる息子に話しかけているような感覚です。

「もう一度、会いたい」

会いたいという思いが募ります。

あなたはこれからどう生きますか?

私たちはとてもつらい経験をしましたね。

その想いを胸に秘め、これからの人生を生きていかなければなりません。

さあ、これからあなたはどう生きていきますか?

ただ、悲しみに囚われ後悔しつづけて生きるのか、

それとも、亡き人の想いとともに前を向いて生きていくのか、

そんなすぐに愛する人の死を受け入れて、前を向くなんて事は出来るはずがありません。

「あわてなくてもいいんです、ゆっくり愛する人の死と向き合っていきましょう」

まだ、いろいろな想いや感情が溢れ、言葉では表現できない様なプレッシャーを感じていないでしょうか、

同じ思いが頭の中をグルグルと回って、一歩も動けない感じだと思います。

心に湧き上がってくるさまざまな感情は、亡くなった人との距離感を教えてくれます。

死ぬほど苦しいのであれば、それほど愛していたという証です。

逆に言えば、それほど愛されていたとも言えます。

苦しくても、何回でも心の声を受け止めてください。

それは、まるで終わりのない千本ノックのように感じます。

「でも大丈夫です、そのうち自然に気持ちは整理されていきます」、

「自分を責めて生きるのはやめましょう」、

あの人はそんなことを望んではいません。

無理な仕事や現実逃避で自分をごまかしてはいけません。

ましてや、死を考えるなんて絶対にダメです、苦しくても愛する人を思い、生きていくんです。

それと、自分の苦しみを武器にして他人にマウントをとるのはやめましょう。

今がまだ、悲しくて苦しいのなら悲しみましょう、しっかりと苦しんで、悲しみ切る事、

湧き上ってくる感情としっかり向き合ってください、感情を置き去りにして前へは進めません。

私たちには時間が必要です、慌てて前に進もうとしてはいけません。

「すべての感情に向きあって、1周したころには落ち着いた自分がいます」

とは言え、悲しみは消えることはないし、発作的に苦しい時もあります。

少しずつですが思考は回復し、身体も動かせるようになってきます。

まずは、苦しくても自分の感情から目を背けない事が大事です。

そうすることで、次のステップに歩みを進めていけるような気がします。

気持ちが落ち着いてから、これからどう生きていくかを考えましょう。

これからは何を大事にして生きていくのか、愛する人の死が自分にとってどういう意味があるのか考えていきましょう。

一緒にこれからを考えてくれる、家族や友人がいれば素敵なことですね。

もしいないのであれば、私に話してください。いつでもメールを待っています。

自分の知らないエピソードや想い出などを聞けたときは、気持ちが暖かくなります。

気持ちを共有できる人との会話は、傷ついた心を優しい光で包んでくれます。

自分の心の中の愛する人が一層輝く様な、そばにいる様な、そんな気がします。

あの子が教えてくれたこと

私たちは、いつ終わるかわからない命を生きています。

運命が決まっていようが、決まってなかろうが、その時が来ればお迎えが来ます。

自分がいつ死ぬのかなんて問題ではありません、明日、死ぬかのように生きるんです。

過去や未来、そんなコントロールの出来ない世界に縛られてはいけません。

息子は夢を追いかけ、24年間の人生を駆け抜けました。

今を全力で生きていました。

「お父さん、時間は有限だよ、今を精一杯生きて」と教えてくれたような気がします。

人生のカウントダウンは止まることはありません、時間を大切に、今を生きるんです。

「100年後には誰もいません、人類総入れ替えです」、そう考えると人生の短さと儚さを感じます。

でも、苦しみながら生きるには長すぎます。

残された時間、なにを大切にして、どう生きていきたいのかを明確にすることが大事だと思います。

何も考えず、漠然と悲しいだけの日々を過ごしてはいけない様な気がします。

現実をしっかりと受け止め、今できることに集中しましょう。

過ぎ去った過去は変えることは出来ません、今この瞬間の積み重ねが未来を創っていきます。

自分が死ぬときに、人生を振り返り何を思うのか、想像してみましょう。

そう考えるとやっぱり、私の一番大切にしたいものは家族との時間です。

同じ時代に出会えたことの奇跡、ともに生きてこれたこと、何物でもない自分を受け入れてくれていること、

同じ苦しみを感じ、ともに支え合い、乗り越えてきたことの感謝をためらうことなく伝えようと思います。

これからは家族との時間、家族みんなの幸せを最優先に考えて生きていこうと決めました。

私がいることで家族みんなが心から安心できる、そんな男でありたいと思います。

これからも別れの時はまた必ず来ます。

遠い未来のことと考えてはいけません、別れは明日かもしれません。

また悲しみに暮れる日が来るでしょう。

その時に、すこしでも後悔しない、後悔させないように、

「お父さん、頑張って人生を生き切ったね」と言ってもらえるような生き方をしたいと思います。

息子が輝いていたように、私も限られた時間を輝かせることが出来るよう、

自分の与えられた使命は何か、それを探し、挑戦をしつづけたいと思います。

今、心に暗い影を落としているあの人への想いも、

いつの日か必ず希望の光となって、私たちの心を照らし、導びいてくれるはずです。

愛する人は確実に心の中に生き続けます、私は息子と会話できているし、繋がりを感じます。

もう一度、必ず会えると信じています。

最後に、

これからも気持ちの変化や気付きがあればブログに書いていこうと思います。

これを読んでいただいて、あなたの心が少しでも軽くなったなら、そんなにうれしいことはありません。

ここまで読んでいただいた方は本当にありがとうございます。

感謝申し上げます。

あなたに心の平穏と、穏やかな未来が訪れることを心から祈っています。

あれから3年

まあ、このブログも3年前からの記憶をたどって書いてますが、やっぱり泣けてきます。💧

自分もあと何年生きるかわかりませんが、心の穴は埋まることはないでしょうね。

以下に、印象に残ったことや、気付いたことをカテゴリー別に書いていますので良かったらご覧ください。