私は、息子の事故や死後に関わることをよく妄想してしまうことがあります。
それは、息子が亡くなったことで出来てしまった心の穴に、湧き上がってくるような感じです。
何か別れを連想させるような事や、他人の悲しみに触れたりすると妄想のスイッチが入るような気がします。
例えば、
【見てもいない事故の瞬間】
これは、車を運転していたり事故のニュースなどを見たりすると湧き上がってきます。
これが一番つらい妄想でしたね、見てもいないのに、息子に車がぶつかった瞬間を何度も何度も想像してしまう。
それも、いろんな人の目線からの場面を想像してしまう、息子目線、加害者目線、目撃者目線、全体を俯瞰した目線、
考えるたびに、息子がかわいそうで「痛かっただろうなぁ、びっくりしただろうなぁ」と、泣けてきます。
加害者や自分への怒りや憎しみの感情が湧いてきて、気持ちが不安定になります。
【息子が死んだのは、自分の日頃の行いが悪かったせいだと思ってしまう】
直接は関係がないとわかってはいるんですが、
この事故が起きたのは自分の日頃の行いが悪かったせいで起きてしまったんだと考えてしまいます。
今までの自分の犯してきた罪深いことが蓄積されて神様の怒りに触れてしまったんだと、
そこに、因果のようなものを感じます。
「なぜ息子なの、俺の命でいいじゃないか」と、神様を責めたときもありました。
今までの人生を振り返って後悔ばかりしています。
出来ることなら人生をやり直したい、そんな衝動にかられます。
悔やんでも悔やみきれません。
【悪い未来を想像して過度に心配してしまう】
これ以上のつらいことがこの先、もしかしたら起きるんじゃないかと、とても不安になります。
自分が出かける時も、火事になったり不審者が来たら大変だと思ってしまい、
ガスコンロやストーブの火が気になったり、窓や玄関の鍵が気になったりで、何回も確認してしまいます。
特に妻や子供たちが一人で出かけていくと心配で、ネガティブな想像をして不安になってしまいます。
とにかく、無事に帰ってきてと祈ってしまいます。
これはもう、恐怖症ですね。
もしまた家族との辛い別れがあったとしたら、そう考えると恐怖でしかありません。
【死んだらどこへ行くんだろう】
私は、仏壇の前でいつも息子に聞いてしまいます、
「今、どこにいるの?、そっちの世界はありますか?、死んだら無ですか?、もう一度会えますか?、
気持ちは苦しくないですか?、自由ですか?」って、死後の世界があってほしいような気もするし、
いっそ、無になってしまったほうが楽なのかな、とか考えてしまいます。
もういないけど息子のことが心配です。
【結局はすべてが妄想】
何回も何回も想像しているとそれが本当にあったことや、これから起きることのように思えてきます。
確信さえしてしまうこともあります。
冷静になって考えてみるとそれは何の根拠もない自分が作り出した妄想だと気づきます。
こんなことを3年が経った今でもやっていて、なかなか抜け出せません。
その度に息子はもういないという現実を突きつけられます。
普段の生活の中で、息子との別れを連想するようなことに出会うと妄想へのスイッチが入り、
深く考え込んで気分が沈みます。
その度に時間を巻き戻したい、自分の命と息子の命を交換出来たらいいのにと、願わずにはいられません。
もしかしたら一生このままかもしれませんね。
自分は息子からの許しを求めているのかなとか考えたりします。
夢でもいいから、「僕は苦しんでないよ、だからお父さんも苦しまないで」、
と言ってほしいのかもしれません。
これらはすべて私の頭の中で作り出された妄想で、出口なんて見つかりません。
出口なんてないかもしれないのに探している、結局はすべてが妄想です。