あなたは、子供を亡くした悲しみを乗り越えるなんて出来そうですか?
そもそも、この悲しみを乗り越える必要がありますか?
私は、この悲しみと共に生きていこうと思います。
3年が過ぎた今、私の抱いている悲しみの感情は、苦しいものではありません。
心地のいい感情かと聞かれれば、そんなことはありませんが、手放すことは出来ない感情になりました。
なぜなら、息子に思いをはせる時、いろんな思いの詰まった悲しみの感情が湧いてくるからです。
息子を思うことと悲しみはセットです。
この悲しみを手放すということは、息子の死を納得するということの様な気がします。
息子が亡くなった翌年に母親が亡くなりましたが、今はもう、乗り越えることができたように思います。
すごく悲しくはありましたが、73歳で持病も持っていたので、まあそんなものかなと納得できたからです。
子供の死と親の死はまったく別の感覚です。
考えても納得のできる答えなんて見つからないと思います、交通事故での息子の死はどうしても納得することが出来ないんです。
死ぬべきではなかったと今でも思っています。
悲しみを乗り越えないと前向きになれないのか、行動を起こせないのかと言ったら、そんなことはないと思います。
パソコンなんてぜんぜん使ってこなかった私が、ブログをやろうと思ったのも、
この悲しみがモチベーションになっていると思います。
私が行動を起こせる原動力と、しっかりと生きていくと決意が出来たのは、
気持ちを共有できる家族がいること、これが心の支えになっています。
家族みんなが納得できない悲しみや寂しさを抱え、お互いに支え合いながら生きています。
こんな私の今の状態が周りの人には、悲しみを乗り越えたかの様に映るのかもしれませんが、
そんなことはありません、悲しみは日々、心の奥底に降り積もっていきます。
心が晴れることはないし、息子を思うたびに悲しみが心の底に沈殿するようにどんどんたまっていきます。
それは、にごり酒やワインのように、そっとしておいてくれれば澱は底に沈み、上のほうはとてもクリアです。
そのクリアな部分だけを見ると、苦しみを乗り越えて立ち直ったかに見えると思います。
でも、少しでも外部からの衝撃を受けると、一瞬で心は濁ってしまいます。
苦しくて、このまま死んでしまいたいと思っていた時期もありましたが、
今は、しっかりと生きていかなければという気持ちです。
「時間は有限、今を精一杯生きろ」、これは息子が教えてくれた教訓です。
あなたがこのような状況ではなく、一人で苦しんでいるのなら早めに専門の方に頼るのがいいかもしれません。
心理学・医学・看護学・宗教学などでは、グリーフケアといって、
大切な人を亡くしたり、大切なものを無くしたりして悲嘆に暮れる人を、
色々な形で包括的にサポートしていこうという分野があります。
長い期間、いろいろな研究や膨大な検証を重ねて導き出された大変すばらしい分野だと思います。
専門の方との信頼関係を築くことが出来れば、素晴らしい効果を期待できると思います。
いろんな悲嘆に対する考え方や、悲しみを乗り越えるテクニックを教えてもらっても、
それを受け入れて行動できるかは、信頼関係を構築できるかがポイントですね。
私の場合、この苦しみを経験したことのない人の意見やアドバイスは心に入ってこない様な気がするので、
サポートをしてもらうとすれば、知識ベースではなく体験ベースでお話を聞いて下さる方がいいですね。
「サポートもしてもらったことも無いお前に何がわかる」と怒られそうですが、そんなものです。
3年が経った今、苦しみはもう消えました。
ですが、悲しみが消えることはありません。