令和6年 能登半島地震で気付いたこと。

今回の地震によって犠牲となられた方に心よりお悔やみ申し上げるとともに、被災された方に心よりお見舞いを申し上げます。

私にできることは、何でもやっていくつもりです。

とりあえず1月4日に金沢から七尾市の方へ救援物資を運ぶ予定です。

2024年の石川県のスタートは大変なことになりました。

1月1日 16時10分頃、能登半島を震源とする大きな地震が発生し、マグニチュードは7.6、最大震度は7⃣でした。

私の住んでいる金沢市では震度5強を記録しました。

私の住んでいる地域では幸いにも大規模な被災はなかったように思います。

しかし、金沢市でも数件は家屋が倒壊したところもあるようで、道路もいたるところに小さな亀裂や陥没がみられます。

その為に停電や断水など、ガス、水道、電気などのライフラインにかなりのダメージを受けている所が多数あります。

地震の起きた瞬間を思い返してみると、

みんなで遅いお昼ご飯を食べ終え、ダラダラとまったりとしているところでした。

急に家中がガタガタと音を立て始めました。「また地震か」と余裕でいたのですが、

次の瞬間、家族全員のスマホのアラートが鳴り出し、激しい横揺れに襲われました。

「これはやばい、家崩れるな」と一瞬覚悟したのを憶えています。

棚のものはほぼ床に落ち、足の踏み場もない状態になりました。

みんなで寄り添って、揺れがおさまるのを待つしかありませんでした。

その時に、自分の不思議な感覚に気付きました。

地震は怖いのですが、心のどこかに安心感があるんです、なんだか落ち着いていられるんです。

守るべきものが目の前にいてくれて、命がけで守ることが出来るという安心感だったのかなと思います。

これは、息子を守ることが出来なかったこと、一人ぼっちで逝かせてしまったこと、

この後悔があるからだろうと思いました。

私の一番怖いのは、「守るべき時に近くにいないこと」なのかなと感じました。

令和6年 能登半島地震で気付いたこと。” に対して1件のコメントがあります。

  1. つくくん より:

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